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ブログ移籍

日記更新の前にお知らせです。

今までFC2ブログを使用していましたが、このたび勧められてアメブロ(アメーバブログ)に移籍しました。

HNは「パドマ」で統一しました。ブログ名は『光明の生活』で、今までと変わりません。

どうぞ今後ともよろしくお願いします。

『光明の生活』(アメブロ版)

http://ameblo.jp/koumyou37/

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

とりあえず、生きていましょう

人生、やる事が見つからず、生きる目的を見失い、どうしていいかわからないときがあります。

まず、食べていくことを考えましょう。生活費は大丈夫ですか?

生活費が大変なら、とりあえず仕事をしましょう。
仕事を探したり、余計なことを考えずに仕事をすれば、それが目的になります。

もし生活費の心配がなく現状生きているのなら、それは本来、幸福なことです。
命あるものが、こうしてこの瞬間も命をつないでいるのは、尊い事なのです。


しかしそれでも、ともかく生きていく目的が見当たらずに不安だ、ということもあるでしょう。

それなら、見つかるまで生きていましょう。

諸行は無常です。いつまでも今の心理状態のままではありません。
永遠に見つからない、など誰も決められないのです。

だからとりあえず、生きていきましょう。

この記事を読んでいただいた貴方に、有り難うございます。
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テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

物も心も平等です

三界九地(欲界(欲望)・色界(物質)・無色界(精神)の三世界観)と言うの考え方があります。

これは瞑想の境地と実際の天界の位置を合わせて考えた世界観ですが、ステージ・境地が上に行くほど物質性がなくなり、精神的な事のみになっていく、と言う事です。

そう思えば、「精神的な高貴さが重要で、物質的なことは下賎なことだ」と間がる考え方も出てくる訳です。

しかし、別の見方をすれば、「物質と精神」と分けた時点で、二元論に陥っているとも言えるわけです。

ぜんぶ「一」なら、どちらが重要でどちらが不要、ということはないはずです。
ですから、精神的な道を求めていても、体の健康をはじめ、物質的なことをおろそかにせず、大切にするべきではないでしょうか。

要するに、ブッダだって煩悩を断じて悟ったのは、欲望にも偏らず、精神論にも偏らない所であったはずだ(お釈迦様が金剛喩定を修したのは、色界第四禅・色究竟天)、と言うことです。

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テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

どう救われたいか、によっても違ってきますよ

前に、「救いはこちら側の境地(満ちる満ちない)に関係ない」と言うお話をしました。そして、それは真諦門ー安心して、心理的に救われることーのお話だ、と申しました。

つまり、物理的に救われたい、現実を動かしたいーお金がほしい、いい恋人がほしい、病気が治りたいーと言うのなら、また別の方法論がある訳です。
私はそれはそれで大切だと思います。こうして里で暮らしているのですから、霞を食べては生きていけないのです。現実の、普通の暮らしがある訳ですから。

お金がほしければ働いたり手段を考える、恋人がほしければ出会いを探す、病気が治りたければ病院に行く。その上で、各々対応するヒーリングやご祈願を受けてもいいでしょう。


それが悪い訳無いのです。「何をしてもいいし、何もしなくてもいい」のですから。


そして、心理的に救われたい、あるがままで満ち足りたいのならば、色々方法や考え方がありますが、このような事ー満ちる満ちないに関わらず、救いはあるーもありますよ、と言う事です。

まず御自分の中で、どう救われたいのかー物理的なのか心理的なのかーを整理してみたら良いかもしれません。ごっちゃになっていると、努力を集中できません。どうしていいか分からなくなる、と言う事です。


前申しましたように、役に立つところだけ取って行ってください。他の方法論を書く場合もあります。随機散説ですから。

この記事を読んでいただいた貴方に、有り難うございます。

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テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

安心の御話です

満ちる満ちないに関わらず、「救い」はある、と言うお話をしました。

これは前に申しました、世俗と真理(スピリチュアル)という分別、俗諦門と真諦門の二門分別のうちの、真諦門の話をした訳です。

人間は無限定で、何をしてもいいし、何もしなくてもいい。でも、何か迷いがあって自分の力でその境地、安心がないなら、神仏はその責任をとって、我々を楽にしてくださいますよ、と言う話をしている訳です。

御自分でちゃんとその境地ー何もしてもいいし、何もしなくてもいい。そのままで満ち足りている境地ーに至れるなら、それは素晴らしいことです。
自分でその境地に入れないなら、神仏はその愛・慈悲のお心から、道義上の責任を背負ってあげますよ、それで貴方は実質その境地に入ったことになるでしょう、と言うお心です、と言う事です。

若しそれで本当の意味で充足して、人から嫌われても逮捕されても構わない、と言うのなら、このまま突っ走れます。
しかし、普通の暮らしをして、通常の意味で幸せになりたければ、俗諦門ー世俗ーの事も視野に入れて、普通に対応すればよいのではありませんか、と言う事でしょう。


だから、「薬あればとて、毒好むべからず(無限定で何をしてもいいといっても、普通に幸せになりたければ、暴走してはいけませんよ)」と言う事になるのです。


前申しましたように、役に立つところだけ取って行ってください。他の方法論を書く場合もあります。随機散説ですから。

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プロフィール

清浄光明

Author:清浄光明
千葉在住のライトワーカーです。
エネルギーワークとスピリチュアル・ヒーリングについて書いて行きます。

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